※こちらの記事は2016年箱根駅伝にむけて、連盟の旧ウェブサイトにて公開されたもです。
新年早々、おてんば少年のたかしくんは箱根駅伝博士ハコじいのおうちへお年玉をせがみにやってきたのでした―。
たかし君「博士~!あけましておめでと~!お年玉ちょ~だい!」
ハコじい「おぉ~あけましておめでとう。ちょっといま目が離せんのじゃ、お年玉はちょっと待っとれ。」
たかし君「もぉ~はやく~。僕は博士に会いたくて来たんじゃなくてお年玉をもらいに来たの!」
ハコじい「なんとも素直なやっちゃのぉ。わかったわっかった、帰りに必ずくれてやるから。」
たかし君「わーい。ってか、博士さっきからそんなに真剣に何のテレビ見てるの~?」
ハコじい「お正月の風物詩、箱根駅伝に決まっとるじゃろ!」
たかし君「箱根駅弁!?」
ハコじい「そうそう箱根の駅で売ってる弁当でね、、、って食えんわい!駅伝じゃ、え・き・で・ん!」
たかし君「そんな、お・も・て・な・し みたいに言わないでよ~笑。古いよ~笑。」
ハコじい「言っとらん!怒」
たかし君「ほら~ななめ45度意識しちゃって~。」
※たかし君、博士にシメられています。しばらくお待ちください・・・。
たかし君「それでさあ、箱根駅伝っていたいなんなの!?」
ハコじい「まぁ簡単に言うとお正月、1月2日と3日の2日間にわたって行われる大学対抗の駅伝大会のことじゃ。今年でもう92回目になるの~。」
たかし君「9、9、92回!!!!????一体いつからはじまったのさぁ!?」
ギモン① いつから始まったの!?
ハコじい「第一回大会は1920年(大正9年)に行われたんじゃ。参加校は今の筑波大学にあたる東京高等師範学校、早稲田大学、慶應義塾大学そして明治大学の4校のみ。優勝したのは東京高等師範学校だったんじゃ。ここから箱根駅伝の歴史が始まったんじゃのぉ。」
たかし君「大正なんて、僕ぜんぜん生まれてないよ!笑 博士は?」
ハコじい「・・・。」
たかし君「博士ってけっこう年いってたんだね・・・。」
※たかし君、博士にシメられています。しばらくお待ちください・・・。
たかし君「でもさあ、箱根駅伝が始まるきっかけはなんだったの?」
ハコじい「いい質問だね~。」
たかし君「(よっ 池上彰!と言おうとするも我慢するたかし君)」
ギモン② なぜ始まったの?
ハコじい「箱根駅伝誕生のきっかけとなったのはある3人の男たちじゃ。1912年のストックホルムオリンピックにマラソン代表として出場し、日本人初のオリンピック選手となった金栗四三。明治大学で自身も箱根駅伝に出場することとなる沢田英一。1924年のバリオリンピックに十種競技代表として出場した野口源三郎じゃ。」
たかし君「へえーーー。」
ハコじい「金栗は『世界に通用する日本の長距離ランナーをするには駅伝競走が一番』という考えがあったんじゃ。しかし金栗は1919年(大正8年)に下関~東京の1200キロを既に走破。また沢田も札幌~東京間を既に走破しておったため、『もう日本は走り尽くした』との思いがあったんじゃ。
たかし君「すげーーーー。僕は学校の廊下を走り尽くしては先生に怒られてるよ毎日。」
ハコじい「そこで3人は『もっと大きいスケールで長距離ランナーを育てられないか』と考えたんじゃ。そこで出た結論が『アメリカ大陸横断駅伝』じゃ。それはサンフランシスコを出発しアリゾナ砂漠、さらにロッキー山脈を越えてアメリカ中部農村地帯を抜けて、ニューヨークを目指すという壮大なスケールの駅伝じゃ。今じゃ考えられんのぉ。」
たかし君「考えられない!!!(白目になりながら)」
ハコじい「金栗さんらは早速この構想を実現すべく、当時数多くの駅伝大会を主催していた報知新聞社を説得、援助を受けることになったんじゃ。
早速、当時金栗さんが勤めていた今のお茶の水女子大学にあたる東京女子師範学校、早稲田大学、慶應義塾大学、明治大学、帝国大学、東京高等師範学校、日本大学、中央大学、立教大学、東京農業大学、日本歯科医学専門学校の代表を集めて協議したんじゃ。今となってみれば早稲田大や明治大など、のちに箱根駅伝の常連校となる大学もあるのぉ。協議の結果は一同賛成。翌年の2月に一校10人で「アメリカ大陸横断駅伝」の予選として出場選手選考会を行うこととなったんじゃ。思い立ったらすぐ行動じゃのぉ。」
たかし君「僕もお年玉がほしいと思ったから博士の家にすぐ来たんだよ。」
ハコじい「ううん。しかし10人のランナーを揃えることができる学校が少なく、最終的に東京高等師範学校、早稲田大学、慶應義塾大学、明治大学の4校で行われることになったんじゃ。」
たかし君「それが箱根駅伝のはじまるきっかけかあ。」
ハコじい「次は一般の方から届いたギモンを解決するぞ。」
たかし君「いつのまに公募してたのさ、博士!!」
②へつづく
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