連盟代替わりによせて 前連盟長ご挨拶


こんにちは。
関東大学スポーツ新聞連盟において、2015年の秋(大学2年)からつい最近まで連盟長をさせていただきました吉本一生(スポーツ東洋)です。

まさかこの時期までこうして大学スポーツ新聞と関われるとは思っていませんでしたが、先日3月3日にようやく代替わりの引き継ぎができ無事新連盟長へとバトンタッチができました。

実際、今までの連盟幹部は2年の秋〜3年の秋での任期となっていたので僕たちの代 は半年ほど長くやらせてもらったのですが、スポーツ東洋を含めほとんどの大学スポーツ新聞部は3年の春休み前くらいまでは任期があるのでまったくもって苦痛ではありませんでした(笑)。今までの引き継ぎのタイミングのほうが謎ですね。これからも春の引き継ぎでいいと思います。桜も咲くしね。

大学スポーツ新聞部の団体にはこの連盟の他にも、12月に行われる朝日新聞コンテストを運営している5大学連盟と関西にも連盟があります。僕たち連盟が誇れるのは一番定期的に集まっているということですかね。実はこの3連盟が集まる機会は上であげたコンテストと2月に行われる東西合宿しかないんです。寂しいですよね。

ではでは連盟単体では何してるの?と言われると正直よくわかんないですよね。僕も最初はそうでした(笑)。初めて行ったのは1年生の5月くらい。「他大の友達(女子)をつくりたい」といういかがわしい動機だけで静岡の田舎からでてきた少年は専修大の遠いキャンパスへと足を運んでいたのでした。

当時の会議のベースは各大学新聞部の最新作の講評をし合う感じでしたが、スポーツ東洋にもかなりミラクルテキトーな理由で入った僕には正直なかなか苦痛な時間でした。ただ
ただ覚えているのはすごくみんな真剣に他大の新聞を読んでは指摘をしたり話し合ったりしているな。と。その状況を当時の僕はただ鼻水を垂らしながら眺めていました。そのあと初めて顔を合わせた1年生同士で飯を食いに行ったのを今でも覚えています。ぎこちないあの時間は二度と戻れない青春の味。無論、あの時いたほとんどの1年生はその後連盟会議に姿を現さなくなりました(笑)。

それから冬になると大学スポーツの大本命箱根駅伝に合わせて連盟でも合同紙「箱根新聞」の制作が行われていたらしいです。″らしい″というのも、僕はここらへんの記憶が正直あまりないのです(笑)。背後から近づく黒の組織に気づかず眠らされて身体を小さくされてしまっていたのでしょうか(笑)。

当時の「箱根新聞」は4面構成。一面には箱根駅伝の展望記事、中面〜終面までは各大学出場校の記事です。これは沿道や中継所で当日待つファンにとってはとっても嬉しいものですよね。連盟だからこそできることの一つだと思います。しかも無料ですからね。それでいて制作費は各連盟担当や部から自費で、、、これ以上言うとBPOから苦情入りそうなんでやめときます(笑)。

そんなこんなで次にスポーツ東洋の1個上の先輩が連盟長になりました。そしてその後を継ぐ形で僕が連盟長になりました。スポーツ東洋まさかの2連投、いや実はその前から3連投なんですね。どんだけ好きやねん、って感じです(笑)。

そして僕が引き継いだその年「箱根新聞」の制作が中止になりました。これはもう完全に戦犯ですね。詳しくは過去記事をご覧ください。
http://kantonprenmei.seesaa.net/s/article/431704601.html

良く言えば
出る釘打たれたパターンですね。
それから3年生になってもう一度「箱根新聞」を紙で復活させることが連盟の大きなテーマになりました。

ちなみに本当に掲げてたテーマは「イケてる連盟、イケてる新聞部」だったんですが(笑)。
要するにもっと派手になろうぜ、と。そーゆーのが制作中止につながったんですけどそこは譲れなかったです。

それからはとにかくいろんなことを話し合って、いろんな人・企業にも話しを聞いて。「どうにか紙で復活」と日々唱えながら奮闘、ときに迷走もしましたね。

そんな中で大きく考えたこと、たくさんの人や企業からも考えさせられたことが2つあって

①連盟はなにをやってるのか
②紙じゃなきゃいけないのか

たしかに今考えると①は納得ですね。
僕の名刺にはスポーツ東洋副編集長の上に関東大学スポーツ新聞連盟連盟長と書いてあったんですが、初対面の人が見たらなんじゃそりゃですよね。「あー連盟ね」とはならない。ましてや過去の制作物や実績もとくにない。規約や名簿、口座だってないんです。大人の社会には通用するわけはありませんでした。

そして②もすごく考えました。
実は連盟の一部のメンバーでビジネスコンテストにでたんですね。新聞をテーマにして。まぁ結果も出なかったからあまり思い出したくないだろうけど。その時も朝までプレゼン資料を作りながら、「なんで新聞″紙″がいいんだろう」という問いに対してほんわりと答えが出たような出ないような微妙な感じでした。無論こうして僕もパソコンを、今はスマホを通じて文字を刻んでいます。そんなに「紙、紙」言ってんなら号外にして出せよって感じですけどそんな勇気も金も暇も(就活生)ありません。そんな形で実はめちゃくちゃもやもやしていた時期でもありました。そうして秋、代替わりの時期がやってきましたが無視して「どうにか紙で復活」活動をやり続けました。

結果、時間は待ってくれず。
このアメーバのホームページを制作することになりました。1年前seesaaブログから見た目はかっこよくなりましたが、当時の連盟長挨拶(上のURL)の煽り文からすると少し尻窄みになった感は否めません。伏線回収ができずに連載終了になった気分です。次回作にご期待くださいって気分です。そういう意味ではリーダーとしてはダメだったなーと鼻水垂らしながら反省しています。坂元裕二は最後にちゃんと「カルテット」を終わらせられるのか。すごく期待です。話がそれましたね(笑)。

ただコンテンツに関しては少し工夫ができたかなと思っています。駅女特集はとくに新しい視点かなとも思います。他にも構想がおもしろい企画がいくつかあって繰り上げスタートをしていれば、、、という悔しさもありますね。それでもほんとに連盟のメンバーはたくさん協力してくれました。本当はもっとやりたいことがありましたが、やりたいこと全部できないのが人生だなと学びました。

そして、ようやくの代替わり。
めちゃくちゃいろんなことをほっぽり投げて引き継ぎです(笑)。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20170312-00000017-pseven-spo
Yahoo!に記事が出ていて正直びっくりしていたのですが青山スポーツも当連盟に加入しています。

上の記事でも紹介されていますが今、本当に大学スポーツ新聞部は人口不足に悩まされています。とくに当連盟の加盟校はどこも深刻です。

連盟に人数をさくのもたいへんなところもあり、代替わり時には今後の連盟の活動のカタチから話し合うことにしました。

結果、今まで通り「月1」集まることになりました。それはうちの武器の一つだから。しかし、箱根新聞を含め制作物については今のうちは保留です。

まずは自主的な集まりであるのだから情報発信の義務はないと思っています。ここまで散々書いといて喧嘩売っているような文章ですが(笑)。やらされてやるものではない。それは僕の代から同じです。「連盟、連盟」言っても自分の所属部の活動が一番です。まずは自分の所属部での制作に打ち込むことです。

そのうえで安心して欲しいのは次の代も「制作への魂」はあるということです。ここの判断が僕は大人ですごく冷静だなと思いました。僕がもう1年やっていたら「大学スポーツの雑誌も作ろう」とか「YouTubeチャンネル作ろう」とか言いだしかねません。というかもう去年も半分言ってました(笑)。だからしっかりと次の代の体制ができてからなにかサプライズはあるかもしれません。とだけ言っておきます。

最後にこの前行われた東西合宿にも僕はでしゃばって参加させていただきました。こちらも詳しくは過去記事で。https://kanspo-renmei.amebaownd.com/posts/2044082
夜には少しだけ次の世代とお酒も一緒にさせてもらいましたがそのときにすごい感じたことがあります。

お酒とか飲みながらもみんな新聞への愛をすごい語ってる、とか、新聞の知識がすごい、とか、そういうことじゃありません。

そうじゃなくて
人間として、大学生としてのエネルギーをものすごいもらった気がしました。

まだまだ死んでない!と。
 
これは実は一番大切なことだと思います。
新聞の技術や知識ももちろん大事ですが。
僕は知識に関してはかなり乏しいし、
報知のパソコンの前に座ってもうちの大編集長の作ってくれたマニュアルがないとなにもできません(笑)。それでもスポーツ東洋でもこの連盟でもやってこれたのはやっぱりエネルギーがあったから。じゃないかと。

そして周りからたくさんのエネルギーをもらえたから。そう思います。たくさんのすごい仲間がいてすごい大人がいてすごい選手がいてすごい読者がいるすごいライバルもいる、「たくさんの負けてられない」が一番の原動力になるのだと思います。僕はそうでした。

最後にYahoo!の記事に話を戻します。

僕はあまりスポーツ新聞にも大学スポーツにも興味ないのに入りました。だからこそ最初は少しバカにしてた部分もありました。所詮、文化系サークルと思っていました。実際、そういう部分もちょっとあったかもしれません(笑)。でも想像以上にアツいし想像以上に自分次第です。

ヤフコメにスポーツ東洋を心配していただいているコメントがありましたが、営業成績的に今年は大幅に上がりました。これは一つ、バチボコ嬉しいことですね。生き残るやり方はまだまだあります。理解をいただける人、企業もどんどん増えてきています。それは連盟長としてもスポーツ東洋副編集長としてもものすごく感じました。

それでも僕にはやり残したことがたくさんあって、もっとやりたいんですけどさすがに同期にも愛想尽かされそうなので。個人的に粛々と進めていきます。これからも関東大学スポーツ新聞連盟および全大学スポーツ新聞部をよろしくお願いいたします。

またなにかアイディアやご意見、お怒りでもなんでもいいのでありましたらコメントやメールをください。僕はこれからもなにかしらで関わっていきます。さみしがり屋なので。


それではありがとうございました。
こんな長文最後まで読んでくれる人いるんでしょうか。読んで欲しい人はいますが。
まじで書籍化できるレベルなので出版社の方メールください。

そして、同期、後輩、先輩もありがとうございました。これからも頑張りしょう。

就活のこといろいろやろうとして入ったカフェでこんな長文を書いてしまいました。就活してきます。あ、今日はバイトだ。行ってきます。それでは、、、。


関東大学スポーツ新聞連盟 連盟長
吉本一生(東洋大学3年)

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